貴方の貴女の名画座番外地
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好きだった映画館の面白い話題、懐かしい話題を自由に書くスレ。 浅名アニキこと川原テツ著「名画座番外地」を読んで、バブルの時代に、
新宿昭和館でやくざ映画を見まくっていた時代を懐かしく思いました。
特に忘れられない3本立は
「網走番外地」(第1作 石井輝男監督 モノクロの画面がまぶしかった)
「新仁義なき戦い 組長の首」(深作欣二監督 山崎努と成田三樹夫がいかった)
「資金源強奪」(ふかさくきんじ監督 ビデオで見られぬB映画の大傑作) 新宿昭和館でアンパン食いながらやくざ映画をよく見たもんだ。
「昭和残侠伝 人斬り唐獅子」
「現代やくざ 人斬り与太」
「仁義の墓場」ETC
昭和館で喧嘩を何回見たことか。
ヤクザ映画でそんなに興奮するなって! やくざ映画ではないけど、
思い出深いのは「荻窪スター座」。
子どものころ、荻窪駅からの裏道にあった映画館。
結局一度も入ったことはないが(18歳になるまでにつぶれた)、
何か異様な感じがして、いまでも忘れられない。 なんか最近、重複スレ多くない?
この類いのスレも映画一般板と懐かし洋画板に既にある。 >>2>>9
別にいいじゃないの。
あんたち、DVDでさびしく邦画見てるクチじゃないんでしょ。
今ある映画館でもいいから、印象やそこで見た作品のこと書いてよ。 少し前に閉館した、大阪新世界の新世界公楽劇場知って人いる? 知っとるで。もう懐かしゅうなったな。あの「懐かしの」看板が懐かし。
外向けのスピーカーに誘われて、よう映写中に入ったもんや。
「座頭市」「無宿人御子神の丈吉」「仁義なき戦い」がよかったな。 昭和40年代、新宿東映には、よく行った。
健さん、全盛時代で、
満員の土曜オールナイトも、今では懐かしい思い出。
生で聞いた、健さん自らが歌った「網走番外地」、
今思うと、貴重なことだったんだな。 >>13
> 生で聞いた、健さん自らが歌った「網走番外地」、
健さんが舞台挨拶に来て歌ったの!?
それはものすごくうらやましい! あまり定かではないですが
「網走番外地・望郷篇」の昭和45年10月31日(初日の土曜日)だったかな。
新宿東映(座席1450人ぐらい)で、もちろん超満員。
夜11時半ごろ?
司会は山城新吾だっったような?
皮ジャンでベージュのズボンのいでたちで登場した我らの健さん。
(カッコ良かったなー)
スクリーン舞台の右端に立って。
熱唱してくれました。(5番まで歌って)
盛り上がりは最高でしたねー。 「望郷篇」はたしか杉浦直樹が白スーツのダンディな
殺し屋やるやつですよね。
夜11時に健さんの生歌かぁ〜
そりゃ盛り上がるわ^^その場に居たかった。 あの頃は、土曜オールナイトで
舞台挨拶と称して、東京4館(丸の内、新宿、渋谷、浅草)を回って
時々、やっていましたね。
健さんは、アレっきりでしたけど。
新宿東映では、「仁義なき戦い 頂上作戦」「女番長 タイマン勝負」の封切初日、
深作監督、松方弘樹、菅原文太で舞台挨拶があった。
「原作はこれで終わりだが、みなさんのお陰で5作、6作と続きそうだ」という
文太の口上が懐かしい。 新宿といえば、アンダーグランド蠍座。
「トマトケチャップ皇帝」 >>19
蠍座懐かしいね。
コンクリート剥き出しの地下劇場で、まさにアングラ。
大島渚特集「日本春歌考」「新宿泥棒日記」を鑑賞。 東京都大田区は目蒲線(現多摩川線)の鵜の木駅のそば、バス通り
(廃止になった大森ー渋谷線)に「鵜の木安楽座」はあった。
「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」「ザ・タイガース 世界は僕らを待っている」
を鑑賞。 >>19
>>20
懐かし過ぎ、、、
出来たときから閉まるまでズーッと通い続けた
池袋人生坐は?w
池袋日勝文化なら覚えている。
1973年クリスマス興行。
「仁義なき戦い」「同 広島死闘篇」「同 代理戦争」の3本立
大入り満員。
池袋人生坐
池袋日勝文化
懐かしいですね。
渋谷は全線座、だったか? 池袋は日勝地下もありましたね
渋谷は全線座と東急名画座
新宿は西口パレス、ローヤル、日活名画座、ATG
大塚名画座、飯田橋佳作座、八重洲スター座、銀座並木座、三鷹オスカー、ムービー山小屋w
自由が丘推理劇場、川崎のミスタウン、大森、鶴見
ミイ〜ンナ、無くなっちゃったなあ、、、 日勝地下もありましたね
渋谷は全線座と東急名画座
新宿は西口パレス、新宿ローヤル、日活名画座、ATG
大塚名画座、自由が丘推理劇場、八重洲スター座、銀座並木座、三鷹オスカー、国立スカラ座
ミイ〜ンナ、無くなりましたね、、、 佳作座最後の番組はたしか
「リオブラボー」と「荒野の決闘」の2本立てだったな。
ギンレイホールはまだがんばってるね。
学生時代ギンレイで「ブレードランナー」観たけど、後ろの席に伊丹十三がいたよ。 伊丹はアテネ・フランセで何度か見かけたが、「お葬式」以降は見掛けなくなったのは、
やはり、蓮実との仲違いが理由なんだろうか? うぅぅ〜この種のスレは都内や大阪ばかりだ。
群馬県は富岡市にも35年ほど前には映画館があったんでぇ。
「富岡中央劇場」。
そこで「荒野の七人」「トラトラトラ」「マッケンジー脱出作戦」「流れ者」
などを観たんだよ。小学生180円(たしか)。
どんな田舎町にも、当時は映画館のひとつやふたつはあったんだよ・・・( ´Д⊂ヽ ビデオがなければ
まだ、やっていられたのに。
映画のビデオ化も良し悪しですね。 >>33
逆。映画はTV放映・ビデオ(DVD)という新たな市場に乗ることで延
命した。大衆が映画館で観る映画よりもTV番組に興味を覚えてしまった現実がある以上、
「映画」も番組やパッケージソフトとしてTV画面の中に入っていくしかなかった。
TV・ビデオ(DVD)への販売を拒否すればもっと見込みはなかっただろう。
川下の小売業としての名画座が衰退したのは残念だが、これもまた時代の流れ。
新作に限ればシネコン化でまだ延命できる。 >名画座が衰退したのは残念だが、これもまた時代の流れ。
ですから、ビデオがなければ
見たい映画は、名画座で見るしかなかった。
名画座の立場で考えれば、ビデオはなかった方がよかった。
あるいは「レンタル禁止商品」、の政策があれば。
長続きしたのに・・・ >>35
ビデオがなければ→TVに売るだけ。昭和30年代にも似たような議論はあったんだけど、結局
は売った方がまだマシだろうということでTV局への映画販売を解禁した経緯がある。
あるいは「レンタル禁止商品」、の政策があれば→さすがにそんな政策を行っている国なんか
世界のどこにもない。まあ仕方がなかったんじゃないの?
同じくTVの影響でなくなった商売に寄席があるけど、名画座もこのスレのよう
なノスタルジーの中に生き続けていればそれでいいと思う。
プロの作り手でも今はTVやビデオで観るのにあんまり抵抗がないからね。一応はスク
リーンで観て欲しいとは言うけど。 新潟県は小千谷市にも映画館があったのよ!
そこで「白髪鬼」「妖怪大戦争」「太陽の子ホルスの大冒険」
をみたわ。
もう40年も・・・ >>36
セルオンリーのレンタル禁止品は、ビデオでもDVDでも普通に存在する
まぁ大抵は結局売れないのでレンタル解禁することになるんだが 東映、「日本侠客伝」のDVDはレンタル禁止商品
ただ、ビデオはそうでなかったので
もう、出回っていますが。
時、既に遅しです 大昔の話だけど、大田区の東映系、池上劇場で「ワンワン忠臣蔵」を見た。
TSUTAYAでやはりだいぶ前にビデオ(貸し出し中)を目撃した覚えがあるのだが。 わんわん忠臣蔵は東映が長く名画座上映禁止にしていたお宝作品。 >>42
どうして上映禁止にしていたの?
差別用語満載映画なの?
>>43
1970年代東映は寡占状態(今では信じられないかも)にあり、
邦画シェアー50%以上でした。東映やくざ路線の好調で。
2番館以下も契約館として系列化しようとして、多くの人気作品を契約館以外の
コヤにはかけさせなかった。キネ旬等で批判されていました。
まあ「驕れる平家は久からず」と言ったところです。
「わんわん忠臣蔵」は白井大作監督・手塚治作画監督で、1963年作、
東映動画の名作で是非ビデオを探して見て欲しい一作。
ただ、63年作なので多少の侮蔑語はあったかもしれません。 わんわん忠臣蔵 超満員の浅草東映で鑑賞せり なんと44年前!! そうでもないよ。わっちはガキだったが、
わんわん忠臣蔵はおっちゃん連中が感激してた。 小さなわんわん 大きなわんわん
わんわん それ行け 忠臣蔵だ
うれし勝どき わんわんマーチ
デユークエイシスのこのテーマ曲は朝日ソノラマで大ヒット。
小生はTVで鑑賞。1970年代前半と思う。
こういう作品が数少なくなった名画座にかかればと思う。 三角木馬で華麗に50get
∧_∧
( ・ω・)
≡ (====)
______( ⌒) )
≡ /\  ̄`J ̄ ̄ ̄\
 ̄ ̄ ̄◎ ̄ ̄ ̄◎ ̄
千本日活は西の横綱。
上野スター座は東の横綱。
まさにバンガイチです。 >>53
「どうぶつ宝島」もシネスコだけれども、
セルをどうやって書いたのかな。シネスコは圧縮撮影だけれども。 名画座で『神州纐纈城』を観た記憶があるのだが、
その後テレビでも放送していたナッ!
だけど何故だかDVDにもヴィデオにもなって無いようだ!
一体どうしてであろう?!? えっ、「神州纐纈城」が過去に映画化されてたの?と驚いてキネ旬データベースなどを検索してみたが、
まったくヒットしないよ。
映画化されていたという話は聞いたことがない。勘違いでは?
「番格ロック」を月曜日にラピュタ阿佐ヶ谷で見たが、大入り満員。
ビデオになってない作品の名画座上映はひとつの興行のあり方になってる。 >>57
>ビデオになってない作品の名画座上映
それが可能になったのはTV放映用のマスターを作る際にプリントを起こすため。
また近年、国際放映所有の新東宝作品の劇場上映も解禁されたらしいことも幸
いしている(新東宝作品は権利やプリントの状態が整っていなかったので
90年代は余り貸してくれなかった)
ただしいまだに劇場や有志持ちでプリントを焼くケースも多いな。どうしても
観たいのは分かるが持ち出しでそこまでやる必要あんのかね?
映画会社なんか他人にカネ出させて自分が儲かることしか考えてないのに。
(田中登の「花弁のしずく」なんか早速衛星に売ってるし。ファンに焼か
せたプリントを元に放送用マスターを作ったに決まっているのに) >>57
それとプリントがなくてもマスターさえあれば今はプロジェクターで
上映しちゃうしねえ。 新宿昭和館地下
汚れたしみのあるスクリーンが特に画面が明るいとき目立っちゃってた。 新宿昭和館地下については、川田テツ著「名画座番外地」にも記載あるが、
末恐ろしい館だったみたいですね。 新宿昭和館地下、昔は東映の添物3本立で頑張ってた。 映画館ではないけれども、宮城県中新田町のバッハホールで、
「飢餓海峡」「張り込み」「天国と地獄」の3本立を1日限りで上映した。
もう9年前のこと。農閑期の農業従事者と仙台の学生で大入りだった。
お弁当の時間を30分も開けて、朝から夜までの上映会だった。
名画座がない地方では貴重な企画だった。 大井武蔵野館
池上通りの大井二又にあった。
ピンク映画製作の国映が経営。
ただしピンクは一切上映せず。
「任侠列伝 男」「男はつらいよ 寅次郎恋歌」「子連れ狼 地獄へ行くぞ大五郎」
「黒の奔流」「新網走番外地 悪への挑戦」等をここで鑑賞。 >>67 館名違うのでは? 武蔵野館は武蔵野興業が経営してた 八千代館で若松孝二、渡辺譲、高橋伴明などの作品群をたくさん見たのが懐かしい。
客は「真面目」に映画を見ていたし、いつも大入りだった。
コヤのそばに、チケット屋やポルノポスター屋があった。
新京極の変に広い道の片隅にあった2階席のあるコヤでした。 弥生座、祇園会館、京一会館、そして八千代館。みんななくなってしもうて悲しいわ。
京極のシネコンは味気ないし、従業員は生意気やし。 大毎地下で抱えて入るのが売店のパレードコーヒーと100円のポテトチップスだった。
あの油ギトギトのポテチ懐かしい。。。
誰かどこのメーカーだったか覚えてない? 札幌の遊楽地下1本¥60の時代を知ってる人いるかい? 知ってるよw
1本立て30円じゃなかったっけ?
「恍惚」と言うスエーデン映画を観た。
あと、トルストイの「復活」、
ぺランの「堕落」なんかも。 すごい!
安さなら渋谷全線座の2本立120円は知ってるけど。1972年ごろ。
「真夜中のカーボーイ」「雨の訪問者」の2本立。
その頃大森みずほ劇場は早朝割引300円。
「昭和残侠伝 人斬り唐獅子」「女子学園 ヤバい卒業」「しびれくらげ」の3本立。 なんか同じ映画を見てるなw
全線座って結構大きな映画館だった記憶が、、、
300人以上入ったんじゃなかったっけ?
東急名画座もよく行った、1本立てだったよね?
大森のラインナップは新宿昭和館に似てるねw 全線座は大きかったですね。その割にはスクリーンが小さくて。
2階席の後ろだと、視力が1.0以上ないと字幕が読めないくらいだった。 >>77
大森東映、大森アカツキ座、鵜の木安楽座、神田ニュース劇場
ピンク・ポルノ専門館昔は変な客も少なくてよかった。
昔はポケットに手入れてチンコさわってる人けっこういたね。 全線座は1000人入りましたよ。座席数は1000行ってなかったかもしれないけど、
消防法上の立ち見を含めた定員は1000超。
2階席の後ろの方はロビーだと4階。「007」二本立てで途中でトイレに行ったら、
立ち見まで人ぎっちりで席に戻れなくなっちゃった思い出が。
東急名画座も以前は500人入れてたそうで(閉館時に昔の支配人が言ってました)。
東急名画座は立ち見になる事が多かったなぁ・・・。 新宿日活名画座は入替のとき、下の下のそのまた下の階までズラーーーーーッと並んでた
春のめざめを見た >>58
35ミリの新技術によるプリントでも倉庫は必要だよね。
「無宿人御子神の丈吉 牙は引き裂いた」が数年前大阪で上映され、
久し振りに浅草で掛かるけど、大阪と同一プリントを使用するのかな。 神保町シアターってフィルセンやラピュタとカブルンだけど、お客さんは入っているの? >>92
封切から何十年も経った古い映画の上映プリントは、一本くらいしかないことが多い。 「無宿人御子神の丈吉」は今年、第1作と第2作が浅草新劇場でニュープリントで上映された >「無宿人御子神の丈吉」は今年、第1作と第2作が浅草新劇場でニュープリントで上映された
第三作がなかなか上映されなくてどうしたのかと思ったら、
三作目だけ隣の浅草名画座で上映されてましたな。
なんでだろ? ガキのころ行った映画館は
向ヶ丘遊園・・・・・登戸銀映(映画好きの母親に付き合った)
祖師谷大蔵・・・・・砧コニー(17才で初めて18禁を観た)
経堂・・・・・・・・東洋、南風座
下北沢・・・・・・・オデオン座(18禁に入ろうとして切符売りのおばさんに怒られた)
グリーン座
二子玉川・・・・・・名前忘れた
青年時代は
池袋・・・・・・・・文芸座、文芸地下、日勝文化、地下、テアトル池袋、北口のピンク専門館
新宿・・・・・・・・新宿文化、蠍座
銀座・・・・・・・・並木座
大塚・・・・・・・・鈴本シネマ?
江古田・・・・・・・江古田松竹
東長崎・・・・・・・長崎東映
今はめったに行かないけど
たまに昭島のシネコン
ローカルだけど。
大阪の田辺キネマ、田辺国際
前者が日活ロマンポルノ等を
後者が洋画専門。
ロードショーで転けた作品が
直ぐにかかってた。
4、5本立てなんてざら。
6本立てって事も有った
煙草も観ながら吸えた。
結構大きな映画館。
懐かしい。
まだ健在なのか? 三鷹オスカーの最終興行に行きました。
1990年頃だったと思うけれど、夢に関する映画ということで
黒沢の「夢」と「フィールドオブドリームス」「聖なる酔っ払いの伝説」の三本だったかな?
最後の一本は自信が無い。入り口でポスターのプレゼントがありました。
国立スカラ座と立川名画座は87年頃までだったと記憶しています。
立川名画座の末期は過去の名画上映は無く、東宝系の劇場でした。 天王町ライオン座
4本立てとかやってたのってここくらい? 福原国際東映って四本立てでしたよ。
ヤクザ三本とポルノ一本の組み合わせで。95年以降は知らないんだけれど。
壱億円のマッチと藤純子の写真が印象に残っています。 >>109
2階建てで1階の田辺キネマが洋邦の2番館、2階の国際がポルノでしたね。
映画館そのものは両方今でも有りますが、1階はパチンコ屋になって2階が
2館に分かれてます。
15年前、京成小岩に住んでたため末期の亀有名画座にチャリンコでいけたのはラッキーだった。
平日に行くと客2人のこともあったけど、土曜日に行くと女性客もみかけられて結構入ってた。
冬は寒かったなあ。
立川名画座いけたなんてうらやましいなあ
自分は10代なので皆さんがうらやましくてしようがありません
昭和20年代に生まれたかったです >>117
感激です。
そうですかぁ1階がパチ屋ですか・・・
パンフレットが売っていなくて古本屋だとか映画雑誌の広告の通信販売や今は無き梅田ピカデリーの1階に有った映画グッズ売り場等で買い求めましたよ。
田辺国際(2階)が二つに分かれたと言う事は一つは昔通りロマンポルノを上映し、もう一つが洋画の再上映がかかってると言う事ですか?
いづれにしても、以前の様に広々としてませんし、ゆっくりと観られませんね。
昔は映画館の側を、南海電鉄のチンチン電車が平野〜阿倍野間を走っていましたよ。
新しい情報を有難う御座いました。
時々、覗いてますのでまた色々教えて下さいね。 >>120
両館の上映形態は昔と同じで、田辺キネマは大阪では数少なくなった貴重な二番館です。
館内は狭くなったけど、連日オールナイトをやってる関係かシートが完全独立なので
ゆったりとは見られます。
初めて行った時は、私もチンチン電車に乗りました。
まだあの頃は地下鉄も無かったので・・・ 渋谷の百軒店の上のほうにあったテアトルハイツには
よく行ったな。黒澤作品なんか何度も観に行ったものだ。
百軒店(ひゃっけんだな)とは女郎屋があった事かららしい。
あの辺り途中、ストリップの道頓堀劇場はずっとあとだな。
テアトルSSというのもあって、洋ピンをやっていたよ。
「売春姉妹の告白」なんて題名の映画を覚えている。観ては無いがね。
今一年一回くらい行くシネマヴェーラもあの辺りだな。
もう十年以上前になるが、東電OLの時間外労働もあの辺かな。 >>113
「映画の夢」がテーマで、
「夢」「グッドモーニング・バビロン」「インテルビスタ」の3本だったと記憶してる。 違う!
「夢」じゃなくて「巴里を追いかけて」だった! >>124
テアトルSS、懐かしす
テアトルハイツ、記憶にないなあ
てかあなたお幾つ?w 清瀬映画が出てないね。
エロビもネットもない時代、
厨房にとって魅惑の御殿だった。 名古屋の中日シネラマ(東洋一の大スクリーン)の地下。
名前なんだっけ? 新世界国際って、
真っ昼間から労務者がオカマのケツ掘っててビビッた! >>123
もぎりのババァがいろんな意味で凄かったよね >>130
確か「シネマA」だったと思うがいろいろ検索してたら「シネプラザ50」なんてのが出てきたので自信がなくなってしまった。
何度か俺もあそこで観てるはずなんだが…
名古屋編
「シネマスコーレ」って今ではなんだかコリアン館になっちまったが
開館間もない頃は、いわゆる2番館っぽいプログラムやってた。
例:アイドル映画特集にて
「みゆき(実写版)」「ユーガッタチャンス」ほか1本 >>131
大体いくらくらいで掘れるんだろうか・・・? >>130
そのまんまシネ地下。シネラマ地下劇場。
場内後方に柱がある、恐ろしい劇場だった。 良スレ
文芸座
テアトルダイヤ
江古田文化
新宿ローヤル
佳作座
上板東映
ロードショーなど月イチがやっとだった 全線座
ロードショーなど年イチがやっとだった
1970年代の名画座
>>142
渋谷全線座のことかな? 昭和37年に非情の町を観た事がある。
占領下ドイツでの米兵少女暴行事件が内容だ。曲がヒットしたな。
http://www.youtube.com/watch?v=A7BRraVMZzc
客層は営業員、とは言っても街歩きのセールスマンのオアシスだった。 >>132
モギリのおばさんが結構、
権限があって12、3才の頃
老けて見られたせいもあったが、ロマンポルノを観に行っても、にこっと微笑んで入れてくれてた。
>>135
出張で名古屋に行った際
時間が空いたので覗いた
確か、中村トオルが出てた
韓国映画で太平洋戦争が
無かったと仮定した内容だった。
タイトルは失念した。
>>131
成人映画を上映する映画館は全国的にその傾向が有るんじゃないかな。
>>144
嗚呼、人生の大先輩よ!
懐かしいお話を色々と、
お聞かせ下さい。
宜しくお願いします。 >>145
「ロストメモリーズ」だったかな。
安重根が伊藤博文の暗殺に失敗し、太平洋戦争で日本が米とうまく講和に持っていって敗戦せず
日韓併合が継続していたら、っていう仮定から始まる映画ね。
設定は面白かったが、内容はクソだった。 >>142 >>144
渋谷全線座って結構でかい名画座だった
600人くらい入ったんじゃないのかな? >>146
その通りニダ(笑)
日本が版権と言うか映画化権を買い取って、日本のスタッフでリメイクして欲しいものだ。
今では望むべくも無いが
山本薩夫監督辺りで重厚な役者を揃えてラストシーン直前まではアジアの盟主の姿を存分に画いて欲しかった。
今の役者や監督では少々軽すぎて難しいが・・・
まぁ韓国側がが日本人に
はまず、撮らせないがな。 自公と民主はビーバス&バットヘッド、日本終わりにゃ、ぬこにゃ
天王町のライオン座です
最近のガキがあれなのはチョロいアニメのせい?
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
. ,.' ̄ ̄`、 3本立て映画、子供100円の時代
. @ハ从ノリ)
川.*゚ ー゚ノ 父ちゃんのポーが聞こえる
_. (l <∞i) サンダカン八番娼館
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ 裸の大将(1958製!)
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| なかなかの作品群
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| .|| 高田馬場「パール座」
五反田「TOEIシネマ」
八重洲「スター座」
「三越映画劇場」
三越劇場って東京だけじゃなくて地方の大都市にもありましたよね 文芸坐 文芸地下 ルピリエ
大塚名画座
佳作座
スター座
並木座
池袋スカラ座
池袋地球座 1974年の文芸坐の入場料は250円現在新文芸坐会員1000円 初めて文芸地下に行ったのは、
「青春の門」「祭りの準備」の2本立て。
大塚名画座では
「博士の異常な愛情」だったような気がする。
呆けてきたので、はっきり思い出せない。 1970年代に新宿紀伊國屋裏辺りのビルの地下にあった洋画2本立ての名画座の名前、何て言ったかなぁ?
知っている人、いたら教えて下さい。
お願いします。 159氏へ
ありがとうございました♪
おっしゃる通り「ローヤル劇場」でした☆
思い出しました‡ 大塚・鈴本ビル3Fの「大塚名画座」(洋画系)はよく出てくるが、
同ビルB1の「鈴本キネマ」(邦画系)は滅多に出てこないね。
ガキンチョの頃、木造時代の鈴本キネマで「モスラ対ゴジラ」、「海底軍艦」、「マタンゴ」を見たっけ。
区画整理でビルになって、洋画もやり始めた。
学生時代は3Fの方へ毎週見に行ってました。
2番館3番館は大昔 大正のころからあっただろうけど
いわゆる名画座はいつからあるんだろうね
60年代以前はあまり情報ないんだ
だいたい70年代以後こんな館があったの話は見聞きするんだが 牛込文化ってあったよね
よく行ったけど
いつごろ閉館したのか
覚えている人いますか?
いつごろ開館したのかなあ? かって、博多駅にステーションシネマがあって、一本立て400円だった。学校帰りに「水のないプール」、「マノン」、「蒲田行進曲」を見た。 かつて、札幌狸小路に遊楽地下があって、一本立て60円だった。学校帰りに「復活」を見た。 その昔 池袋に人生坐っていう名画座が 在ってだな。。。 東大に入り上京した67年には人生坐はあった記憶がある。 「翼は心につけて」
実話を元にした映画で、当時13歳だった自分が主人公と同じ病院に入院していたのもあり、
是非また観てみたいと。
今もそうだと思うけど、やけに当時骨肉腫やガン闘病に関した本も出てて読んだ記憶があります。 大学入学で上京して初めて知った名画座アクトミニシアター
入り口で靴脱いで絨毯のうえで寝転がって見た
ユンボギとか東京戦争戦後秘話とか大島渚特集やってたのを覚えてる >>171
これも釣り。都内有数のハッテン場だった。 「ミニシアター」をはじめ小規模の映画館の閉館が相次ぎ、古い作品をスクリーンで見る機会が減っているなか、
最大手のイオンエンターテイメントは定額で古い作品を何度でも見られる新たなサービスを
来年から全国の映画館で始めることを決めました。
全国の映画館を巡っては「シネマコンプレックス」と呼ばれる複数のスクリーンがある映画館が
次々と建設されている一方、過去の名作などを上映している「ミニシアター」など小規模な映画館の閉館が相次いでいます。
こうしたなか、最大手の「イオンエンターテイメント」は来年4月から、平日に限り、
古い作品を何度でも見られる新たなサービスを全国60の映画館で始めることになりました。
料金は1か月有効のパスが1200円、1年間有効のものは9800円で、それぞれの映画館では
過去のアカデミー賞受賞作など48の作品を週替わりで上映します。
この取り組みの背景には、古い作品をスクリーンで見る機会が激減していることに加え、
DVDレンタルやネット配信など映画を見る環境が多様化し、競争が激化していることがあるということです。
イオンエンターテイメントの大山義人営業本部長は「映画館に昔、通っていたけれども足が遠のいている
お客様にもう一度戻ってきていただきたい」と話しています。
.
・映画館の現状
国内の映画館を巡っては、ことし3月に東京・銀座で唯一の名画座として親しまれた「銀座シネパトス」が閉館するなど
小規模な映画館の閉館が相次いでいて、日本映画製作者連盟によりますと、平成21年には小規模な映画館が
全国で381館あったのが去年は288館と3年間で100館近く減っています。
古い作品を定額で何度でも見られるようにする今回の取り組みについて、映画産業に詳しい青山学院大学の
内山隆教授は「シネマコンプレックスも飽和状態になっているなかで、名画座といわれる古い作品を
上映する劇場がどんどん減っているという現状を考えれば、社会実験的な意味でやる価値はあると思う」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131212/k10013795891000.html 大森東映、荻窪スター座、鵜木安楽座、武蔵新田劇場、銀座並木座、新宿昭和館、昭和館地下、大森あかつき座、大森ヒカリ座、京一
会館 三鷹オスカー。
高校の頃、毎週のように通ってた。
主に洋画の三本立てだったけど、たまに邦画もやってたな。
三島由紀夫のからっ風野郎とか印象的。
市民ケーンからダーティハリーまで、
幅広いラインナップの映画を観させてもらった。
大学受験に失敗して、浪人して、映画どころでなくなってた頃、
三鷹駅前の再開発が始まって、
いつの間にか、オスカーはなくなってた。
当時は、レンタルビデオ屋が隆盛を極めつつあったので
それほど寂しいとも思わなかったけどね。
たまに、思い出す。
映画の幕間に音楽が流れ、ローカル写真広告が映し出されてるスクリーンを観ながら、
座り続けて痛くなった尻をモジモジしながら、
次の映画が始まるのをドキドキしながら、
待ってた時の事。
あんな気持ち、最近映画観る時、感じてないな。 三鷹オスカーは前方左側の席のところに
病院によくある白い衝立が設置されていた。
不思議な眺めで、記憶に残っている人は多いと思う。 思い出の池袋の名画座
池袋西口は池袋ピース座。池袋セレサ&ロサ。
池袋日勝・日勝文化。日勝地下.
池袋地球座、テアトルダイヤ、文芸坐、文芸地下劇場を思い浮びます。
旧・文芸坐と新文芸坐は経営母体が別会社の別のためすっかり館内イメージが変わりました。 映画が終わるとおばさんが丁寧にお辞儀してくれたのはどこだっけかな 渋谷に全線座って名画座がありました。
半世紀以上前の話です。
洋画2本立て200円か300円でした(笑) 三鷹オスカーはよく話題に上がるけど、
三鷹にもう1館名画座ありませんでしたっけ? >>196
三鷹文化
出典
「ぴあ 1978年11月号・1981年5月22日号に掲載された映画館」
http://www.nipponeiga.com/pia78/
ちなみに姉妹編
「ぷがじゃ1978年11月号・1981年5月号・1983年2月号・1987年9月号に掲載された映画館」
http://www.nipponeiga.com/pgaja78/ >>197 サンクス
懐かしくって晩飯食うのも忘れて今の時間まで見ていた
昔の事を思い出して涙が出てきた
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HAH 【自らを泉南最強の輩(笑)と名乗る元暴走族のハルシオン中毒で身の程知らず!wwwwwwwww
ただ単に悪知恵が働くだけの分際で自分は非常に頭がいいと豪語(笑)する
真性DQNのパワハラ、モラハラが生き甲斐(笑)のパンチパーマ自己満足オナニード低悩クズデブホモキモ豚野郎(笑)
その人相はもはや麻原彰晃そのもの!!www『広岡雅史』(自称ゴンさん(笑))そのクソみてーな半生】
1983年 中学入学するも生意気だったので不良同級生に〆られる。以降3年間おとなしく過ごす
中学一年の時に2日間だけパンチパーマをかけたのが唯一の自慢
1986年 私立高校に入学するが、親分だった仲間が中退。自分も同級生からイジメに遭い中退、定時制高校に入りなおす
アイドルに憧れて劇団東俳に入れてもらうが芽がでない。ジャニーズの研修生になるも、2日で追い出される
1987年 同年代が丸くなり引退を考える17歳のとき、休眠暴走族のメンバーを名乗り活動をはじめる
1988年 18歳にて休眠暴走族の2代目総長を名乗り、年下に混じって30歳まで参加する
1989年 先輩に誘われ右翼活動を始めるも、1年経たずに逃げ出す
1990年 20歳で定時制高校の番長を気取り、更生してまじめに勉強したい生徒からひんしゅくを買う
地元暴力団に見習いで入るが、親と警察に泣きついてすぐに逃げ出す
1991年 21歳にしてヤンキー中学生が読むような雑誌に投稿。借りものの特攻服を着て現役暴走族を気取る
それ以降もメディアに出たくて仕方なく、昼の生放送番組の奇人変人コーナーに出演したりする
1992年 22歳にして6年かけて通った定時制高校を卒業
1993年 親に「もう23歳なんだから更生しろ」と怒られ横浜東口ポルタ宝石店「チャーミー田中」に就職。すぐにクビ
ホストクラブ「ナイトヨコハマ」入店。しかし1年もたない
女性二人と遊びに来ていた男に因縁をつけ監禁、脅迫で逮捕。雇われ店長をやっていたホストクラブも閉鎖
1994年 地元の有名先輩に頼み込んで、暴走族ビデオ「暴走列島94」に照明係として出演させてもらう
1995年 愚連隊会長を名乗るが1年もたない。その後も関西系暴力団の見習いになるが、親と警察に泣きつきまた逃げ出す
1996年 遂に才能がないのに気づき、芸能人になる夢をあきらめる
1997年 落ちこぼれを集めて政治結社(暴力団の下部組織)を結成。ヤクザを名乗り女性三人を監禁、強姦して逮捕
1999年 30歳にして暴走族の相談役を自称。タチワルを気取って地元の少年たちにちょっかいをかけるが返り討ちにあう
2002年 インターネット掲示板に目を付け、自作自演の売名活動を始めるが、誰にも興味をもたれず相手にされない
2004年 34歳のときに脅迫で新潟刑務所に入所する。「イビキがうるさい」と同居の受刑者にイジメられ独居房入り
2014年 44歳になっても未成年に手を出し淫行で逮捕される。罰金が払えず、身の回りの物を売りに出す ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています