>>294
いや、自分は、中学三年から浪人の時までの5年間、スタジアム前のYMCM予備校に週に3日通ってて、
京急沿線住みなもんで日の出町駅からそこまで歩いて通ってたし、週末は決まってイセザキ界隈でチンタラしてたから、
当時は週に何度もメリーさんを目撃してた。
当時からあの人には畏敬の念を持っていて、「こんにちは」と挨拶したり会釈したことも何度もあった。
(返事してもらえたことは、遂に一度もなかったけど)
不潔だという印象が一般的だったのは否定しないが、だからこそ一目置かれてたということあると思う。

穢れた存在、差別されている者だからこそ、「他者のケガレを引き受けてくれている人」と目されることもある。
キリスト教圏においても、売春婦であったマグダラのマリアがまるで聖女のように受け止められているというような例もあるが、
この傾向は日本において特に顕著で、だから映画や芝居に登場する遊女たちは、
実際は売春婦であったにも関わらずほとんどみな聖女のように描かれる。
差別される人と言えば身体障害者もそうだけど、日本では身体障害者やバケモノがヒーローとして登場する活劇が異常に多い。
座頭市とか丹下左膳とか、力太郎とか、手塚治虫の「どろろ」の主人公とか、妖怪人間ベムとか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E5%A4%AA%E9%83%8E
こういった例は、みな、「ケガレを背負っている者」=「他者の(社会の)ケガレを一身に背負ってくれている聖人」という概念が、
日本人の国民性のひとつとして無意識のうちに心の中に染み込んでるせいだと思う。
少なくとも自分は、当時からメリーさんのことを「この町の守り神、聖女」だと思っていた。
「冬の華」に登場するメリーだって、一種の聖女だ。
そこには、間違いなく、実際のメリーさんのイメージが投影されている。

「穢れ」についてのwikipediaの紹介ページ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C
日本において身体障害者ヒーローが多いことについての分析は、この本の中にもある。
http://www.amazon.co.jp/dp/4061158635/