陸軍幼年学校→陸軍士官学校→旧制第一高等学校→東大法学部政治学科
→三菱商事(ただし財閥解体で三菱商事も当時は何十社かに分割されていて
三菱商事という会社も正確にはなかった。平田氏の入ったのは旧三菱商事系の
いちばん由緒正しい東京なんとかという会社)
→俳優

東大法学部のあと官僚にならなかったのは、軍人のあと役人になるのも気が進まなかった
国家に仕えるのに疲れたからとのこと。
結局、俳優になったので、いちこう東大というキャリアは自分には不要であり
仲間たちが戦後にみんな人生をやりなおすため苦労しているとき
自分がいちこう東大でひとつの座席を奪ってその分、誰かひとり入れなくなったやつがいたというのは
思い出すとつらいことだ、仲間の中には戦後やり直せなくて挫折していった人間がたくさんいたんだと、
朝のワイドショーで本当に悲しそうに語っていたのが忘れられない。
それには衝撃を受けたな。そうか、そういうふうに感じて、十字架を背負って生きているのかと。
司会の鈴木治彦も、東大から俳優というのは面白いですね、というくらい軽いフリで入っていったのに
平田さんがあんまり深刻で悲しそうになっちゃったから、フォローできなくなってた。
そのときは三菱商事時代の平田氏の同僚なども出演していた。