マキノが何時頃からキャメラ2台で撮り始めたのかがはっきりしない。恐らく、
東映でカラー・シネスコで撮るようになった時期が境目ではないかと思う。
中抜きを始めるぐらいにセッカチな人なので、トータルでの経済効率を考えているんでしょうね。
2台になればそれはそれで照明や構図の手間暇も掛かるのだが、それを差し引いてもキャメラを切り返す時間がもったいないし、
役者の演技が現場のカット割で途切れることが気に入らなかったのでしょう。
まだマルチカメラを始めていなかったと思われる頃でも、レールや台車の移動を使いつつ、
ゆっくりと俳優の芝居場を捉えるような演出を行うことが多かった。
本人がその事にどれだけ自覚的だったかは不明で、案外に何も考えていなかったのかもしれないが、
実は日本で同時代のフランスやハリウッドに通じる映画話法を持っていたのが、当時のマキノだったのではないですか?
ジョン・フォード、ジャン・ルノワール、ハワード・ホークスと並び称されるべき人ですね。