陸軍中野学校卒の小野田少尉は、1945年8月を過ぎても任務解除の命令が届かなかった為、
ルバング島で部下と共に戦闘を継続し、持久戦法をたてて米軍に挑み続け、島内にあった
米軍レーダー基地への襲撃や狙撃、撹乱攻撃を繰り返し、合計百数十回もの戦闘を展開。
これらの戦闘において、米軍レーダー基地司令官を狙撃し、重傷を負わせるなど、多くの
『戦果』を上げている。地元警察との戦闘では二人の部下を失い、最後の数年は密林の中、
単独で戦闘を続行。30年間継続した戦闘行為によって、フィリピン警察軍、在フィリピン
米軍の兵士を30人以上殺傷した。