「血染の唐獅子」が作られた昭和42年(67年)頃が、
藤純子さんは、もっともキレイだったかも知れません。
この年に何故か、マキノ雅弘が監督した
健さんと純子の絡み場面に、素晴らしい映画が多いんです。
7月「昭和残侠伝・血染の唐獅子」
9月「日本侠客伝・斬り込み」
11月「侠骨一代」
 脚本家の笠原和夫さんに言わせると。
マキノさん3年調子が良くて、1年スランプの繰り返しだ、そうです。
(マキノ本人も自覚しているらしく)
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 そして、翌43年9月に「緋牡丹博徒」が公開される訳ですよね。
ファンとしては、「待っていたものがやっと来た!」という感じで、もう満開でしたね。
鶴田、高倉の相手役で、十分認知されていましたから。
(東映、企画の勝利!ということですか)