日本人に多い論調として、
本人が納得しているなら残業は悪ではないとか、
本人が残業を望むならその意思を否定すべきではないといったものがあるが、

1. 残業は構造上それ自体が悪であること
2. 自分は良かれと思ってやっていても組織として考えた時に周りに悪影響を及ぼし得る努力とか競争が存在すること
3. 他人に迷惑をかけなければ何をやってもいいというわけではないこと

こういうのを日本人はもっと学ぶべきだな。
日本よりはるかに社会が成熟している産業革命誕生の地イギリスとその周辺国にも社畜は存在した。実に19世紀の話だ。
そして彼らが学んだのは、一握りのエリートが残業するのは社会にとって有益になり得るが、99%の凡人はワーカホリックになるべきではないという明確な経験則だ。
今この文章を読んでいるあなたも、そして私も、幸運なことに凡人なのだから、残業はせずに、仕事以外の時間を充実させなければならない。
フランスやドイツでは1970年代にこういう論調がしっかりと根付いたために、日本より労働時間がはるかに短いし、バカンスという概念が存在する。

実に50年たって、やっと日本も働き方改革という、当然すべき業務効率化、システム化について考えるようになった。
しかし、その足を引っ張っているのが残業であり、属人的な業務である。
残業しなくても業務が回るようにしない限り、日本の労働環境は豊かにはなれない。

マニュアル化の得意なアメリカでは1990年代にERPの導入などによりホワイトカラー職の定型化と削減を積極的に進め、今では日本の倍近い労働生産性を実現している。彼らは日本人より楽してはるかに豊かな社会を実現しているのだ。

さらに後発の大国である中国は、共産主義国でありながら日本よりずっと合理主義的であり、休みはしっかり取り権利を主張する。
あと20年もすれば、労働環境では東京より中国都市部の方が上回る時代が来るだろう。
それでもまだ、日本人は労働教を信仰し続けるのか。