おはようございます。

先週土曜日、教会で婦人会主催の地区賛美集会が開かれ、
男性メンバーも駆り出されく準備していました。

そこで忙しく準備していた姉妹に皮肉を込めて一言。
私「準備ご奉仕ご苦労さまです。まるでマルタのようですね。」
姉妹「え、わたしが丸太のようですって?」
私「いえいえ、マルタのように忙しく準備、ご苦労さまです。」
姉妹「あら、私には、あなた丸太のようになりましたね、って聞こえましたわ。」
私「そんなこと言うわけ無いでしょう?」
このときは、事なかれでホッとしました。^^;

ここで、マルタとマリアのことを通してイエス様が伝えたかったことは、
この世のことも大事だが、もっと大事なことがある、
ということだと、思わされ、以前に書いた旅人の例えを、
再掲させていただきます。

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聖書で信仰者は、
この世の旅人であると喩えられます。

信仰者はこの世にあって、
神の国を目指して足を進める、
旅人のようなものだからです。

旅人が道を歩いて前進するためには、
次の2つの条件を必要とします。

1)靴裏が道としっかり密着し、靴が滑らない。
2)靴裏が道に粘着せず、容易に道から離せる。

1)靴裏を道にしっかり密着させないので、
  靴が滑って前進できない旅人がいます。

この世が目的地ではないからという理由で、
この世との関わりをしっかり持とうとしない、
旅人のことです。

(この世との関わりをしっかり持つとは、
 この世でのチャンスを活かして隣人を愛し、
 天に宝を積むことを意味します。)

2)靴裏が道に粘着し、道から離せなくなり、
  前進できない旅人がいます。

この世の富・快楽・繁栄に執着するあまり、
神の国への望みを見失った旅人のことです。

旅人は、目的地である神の国を仰ぎ見、
この世を用いて天に宝を積むことに励み、
しかし、この世に執着することなく、
神の国を目指して力強く前へ進みます。

信仰者が、この世といかに対峙すべきか、
旅人の喩えは、
とても良い見本を示してくれます。
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