>>306
あれ?前も同じ質問をされたことがあるようなw

絶対的な善というのは、仮にあったとしても証明できませんから
あくまでも普遍的な善、もっとことばを弱めれば一般的な善、ということで推測すると
最も大きいものは、やはり利他的行為なのだと思います

これは民族・文化・時代を問わず一般的に善とみなされるものだと思いますが
わたしはその理由を進化に求めています
宗教者にとっては神ということになるのでしょう

それから自由や公正(公平)というのも一般的に善とみなされることが多いと思います
これまた突っ込んで考えるとその理由はいろいろと考えられると思いますが
わたしは利他性、自由、公正といった価値観を支えるルールには人間の持つ共感能力による
立場の交換可能性があるのだと考えています
行為者と被行為者の立場を交換しても是とされる行為が善とみなされるのではないかと思います

独善性が善としては否定されるのも、この立場の交換性によるのだと思います
ある宗教における善は必ずしも他の宗教における善とは限らないため
善が排他的に特定の宗教の教えに合致していなければならないとすると
立場の交換性が成立しなくなるからです
(その独善のなかにいる人にとってはこの善は絶対的な善として顕現するので
こういった問題意識は生じにくくなってしまいます)