和紙氏、以下はヨハネによる福音書からですよ?

トマスは答えて言った、「わたしの主、わたしの神よ」(ヨハネ20・28)
「あなたは、わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人たちは幸いである」
(ヨハネ20・29)


イエス様が見ないで信じる人たちは幸いである、と教えられてます。
どうしてイエス様とは違うことを強調するのですか。
和紙氏がご自分に栄光を帰すためですよね?
一抹の恥ずかしみが湧きませんか?
僕はすごい、僕は預言者、僕は尊い、じゃないがって話。
イエス様は、自分を捨てて、自分の十字架を担って、と教えられてます。
和紙氏は、僕を捨てきれてないのです。僕に栄光を帰そうとしているのです。
ピオ神父様、聖ベルナデッタが、俺が俺が、私が私がすごい!
というようなものはありませんでした。和紙氏は、あのライオンに噛まれた
シナ人のなんといえばいいのだろう、変な信仰に歪んでおられるのです。
 治療法?洗礼で一発です。キリスト者のひとりに収まれば
僕に僕に栄光!などというのはすぐに吹き飛びます。