「私は大勢の霊魂が地獄に落ちるとは信じていない。神は人を深く愛されている。その似姿に造られるほどに。主の御愛は人の理解を超えている。
人がこの世の意識をあとにして、死んだかに見えるとき、
神は審判を下す前に、罪の実相を見て理解する機会をお与えになると私は信じる。
それを正しく理解するならば、どうして悔い改めずにいられよう」

(聖ピオ神父)

>人がこの世の意識をあとにして、死んだかに見えるとき、
>神は審判を下す前に、罪の実相を見て理解する機会をお与えになる

この言葉は真実です。私自身がまさにこれを経験したからです。
その臨死体験で、私は鬼に縛られて地獄の淵に運ばれ丸木舟に投げ込まれて
ステュクス川に流される人たちを見ました。
そのときに「見よ、救いがある」との天使の声を聴いて
その指さすほうを見ると、パラダイスにおられるキリストのお姿を見たのです。
そこは真っ暗な地獄の淵とは対照的な光の世界でした。
パラダイスといいましたけれど、白く広い庭園で下は細かい白い砂のような物質、
上を仰ぐと真っ白な雲の層にうっすらと包まれ、絹のようなその物質を通して神の光が零れ落ちていました。その下に、殉教した人たち、あるいは眠りについている死者が列をなして横たわり、キリストからお声を掛けられる時、すなわち復活の時を待っているのです。