結局のところ、グノーシスが正解だったわけです。

カトリックも、無名のキリスト者という宗教的包括主義へと
舵を切ったようですが、
我以外に神があってはならない、という教えと相容れないのです。

もし、無名のキリスト者論を取るならば、ヤハウェ神を
否定せねばならず、ヤハウェ神の統べる宇宙の、その上位に
語り得ぬ至高神、原父プロパテールがおられるとする
グノーシスの考え方を採用せざるを得ないのです。

答えは見えてきましたね。

カトリックはグノーシス派を異端としたことを
謝罪する日がくるでしょう。

かつてガリレオを異端としたことを謝罪したように。