>>83神も仏も名無しさん

>>82
>そうです
>立場が違うため解釈がちがいます

そうですね。
私達は日本社会の中で暮らしています。
そして、その日本社会は日本以外の社会=世界
と無関係ではありません。

ユダヤ教は、バビロン捕囚後に本格始動しはじめますが、
ユダヤ民族のアイデンティティを揺るぎなく
強固にする方策として、律法主義に集中することで
民族崩壊を防ぎます。国土が無い民のアイデンティティ
維持の最後の砦です。

ユダヤ教徒は国土が無いので尚更、同じ宗教にある者で
団結します。
しかし、聖書はユダヤ人の本の中だけにあるものでなく、
彼らの実生活に直結して現実的なユダヤ社会を形成しており、
影響下にあります。

あなたの言う、立場ですが国土があるか無いかに
関わらず、どういう状況下であろうと、子供の立場、
女性の立場、障碍者の立場、サラリーマンの立場、
経営者の立場、学者の立場、富豪の立場、王族の立場、
政治権力者の立場と、さらに個々人の個性で、
無数にその立場から、現実に生きる社会の見え方
解釈が違います。
律法主義にあろうと、個々人は立場や解釈が違うということです。

前提として、このように無数の立場があります。
そして、ユダヤ教からはイエスは聖書に基づいていないと
されたのです。

立場が違うから、といいましても「救世主」というのは
ユダヤ教徒にとって、別格であって、
曖昧なものでは無い。

ユダヤ教徒側からは、キリスト教徒が編み出した、
考えとに連続性を持たしていないのです。

>神の妥当な観念論とは、聖書にあますことなく全体にかかれている概念を獲得するということです

神に対する妥当な観念論とは、ヤファウエ神信仰、
つまり有神論と言いましても、
ヤファウエ以外を神と認めないという有神ですよね。
聖書に余すことなく、といわれていますが、
ユダヤ教が認めない「救世主」です。

その辺りの整合性を飛躍することなく意見を下さい。
(わたしは、ユダヤ教の教義が正しいか、
キリスト教の教義が正しいか、
この話においては、問うているのではりません)