ーーー

0040 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm 2024/02/03(土) 12:00:07.50

全てについて疑うべし(De omnibus dubitandum。カール・マルクスの言葉)という方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、「そのように意識している"我だけはその存在を疑い得ない"」。

「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている"自分自身の存在は否定できない"。

「"自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)」、とする命題である。

Wikipediaより「我思う故に我あり-概要」より
一部抜粋

ーーー