>>921
それは初臨のキリストと再臨のキリストの違いですよ。
たしかに旧約のイザヤ書などには、力強いキリスト像と、哀れなまでに虐げられるキリストの姿の、2種類が混在して記されているので、
当時のユダヤ人にはさっぱり理解出来ず、あまつさえキリストを殺害までしてしまった。
つまり、当時の律法学者やパリサイ人にとっては、栄光に輝くユダヤの王としてのキリスト「だけ」が望みであったから、
目の前に現れた博愛を説くイエス(つまり初臨のキリスト)は邪魔者にすら見えていたのですね。

ところで、なぜ初臨のキリストが、あのような過酷な運命をたどったのか?
それは、当時のユダヤ社会の祭儀と、密接に関係しています。
罪の代償は死であって、必ず“血”が求められていました。
生贄を捧げる事を要求して、その代価として罪を赦してやる。この発想のもとに、
最初は神ヤハウェはアブラハムに彼の一人子であるイサクの命を要求して、アブラハムを
テストしていますね。
こんな過酷なテストをしてみたという事は、やがて将来、ヤハウェご自身が
ご自分の一人子であるイエスを生贄にするつもりであったからです。
そうでなければ、ヤハウェは自身の厳格さを全宇宙に対して、正当化できません。