>>643
>イエス様は人類の罪を贖ったのではなく、
>人類の罪ゆえに殺された、と思うのですが違いますでしょうか?

イエス様が普通の人であったら、
人類の罪ゆえに殺されたに、
とどまるでしょう。

しかしイエス様は父なる神と一緒の、
創造者でもあるのです。

今まで何度も言ってきましたが、
創造者である神は、
自我と自由意志を持つ人を望まれ、
そのように人を創造しました。

そのため、人は父なる神の望みに、
反抗することができるものと、
なってしまったのです。

自我と自由意志を持つものは、
成長過程で必ず放蕩を経験します。
人の成長期に反抗期があるのも、
それが原因です。

創造者でもあるイエス様は、
自らが創造した人の放蕩に対して、
死に至るまで忍耐し、創造者の愛を、
被造物である人に示されたのです。

被造物である人が、罪を犯すことは、
その創造者である神を苦しめることになる、
それを目に見える形で示されたのが、
イエス様の十字架の贖いの本質です。

創造者でもあるイエス様が、
人の罪を死に至るまで忍耐された、
ということは、すなわち、
父なる神が人の罪を許されたという、
事実でもあるのです。

ですから、十字架上で、
人の罪は既に贖われたのです。

かつ十字架上の贖いは、
創造者でもあるイエス様が、
罪を犯すことが可能なように、
人を創造したことへの責任を、
十字架上でとられたことにもなるのです。

そして、十字架上で示された、
死に至るまで忍耐した愛を見ることで、
人は放蕩を、つまり罪を悔い改め、
父なる神の元に帰還することできるのです。

これらをまとめると、
イエス様は十字架の死と復活をもって、
人の罪を贖われた、となるのです。