金の牛をモーセの兄が造り、人々が礼拝したのは何故か?
そして、モーセが怒り3000人が神に殺された。
ずっと以前からおかしいと思っていました。

モーセが怒り殺したのに、神の怒りにし、
モーセが必死で神に懇願して、
最悪の事態を避けることが出来たかのような
モーセが立派な人物風に仕立て上げられている。
そんなつくり話に
現代でものせられる人々がいる事に、
わたしは、以前より驚き疑問がありました。

兄アロンとは、王位継承のない者(モーセ)が、
継承のあった兄の方の系統図を用いて、
自らを正当化するために、常に頼りにしなければ
ならない、兄の権威のことであり、
兄集団は、牛に表現される多神教であり、
しかし、兄を否定すると王位継承は、
自分がそこで終わる恐れのジレンマが
あのような話を生みだす。
兄とは、第18王朝を象徴しています。

なぜなら、アロンが指導した、金の牛であるなら、
兄が最も神の怒りで殺されなければならないのに、
それがありません。

こちらの、解説でアロンとは何を指すのか、
ただの個人ではないことも見えてきて
なるほど辻褄があってきます。

劣等感が生み出した一神教の虚言の宗教精神史として、
聖書が理解できてきます。
さまざまな逸話を寄せ集めながら、作り話をしていく
ねじ曲がった劣等感が反転した優越感が、
選民思想として宗教化した病的な神と自分達の
妄想契約。
アサハラもそうですが、人の劣等感というのは、
個人や社会、歴史、
世界規模の重要な人の課題をもっています。
心理学者のフロイトが解析のきっかけをつくった事も
うなずけます。

【重要】
かなり語り口が早いので、何度か聞き直すと
良いと思います。

◎全てがひっくり変える禁断の発見「モーセは本当は...」
https://www.youtube.com/watch?v=3seg_kbWVy8