決意においては善と悪、信仰と無神論、真実と嘘、愛と執着、という対立が見なされる。限られた時間がある現実では確かに対立はある、ところがこうした対立を神における究極のものと見ることではなく時間を生きる人間にとっての究極に過ぎないと見ることもできる。
人間は時間を生きる存在としての限界にあって
内面的に次のような場所まで達しうります。

それは、時間における永遠の存在の保証、象徴としてもたらしたものが、もはや消えてしまったような場所