ちなみに、無我なので、「我」は輪廻しません。
しかし、それぞれの者がなした行為が、「種」となって
「阿頼耶識」に蔵されて、別の機会に発芽するようです。

つまり悪いことを為せば、別の時に(異時)に、苦となって現象するのですね

例えば和紙先生は深酒された。すると寝坊して遅刻を繰り返し
【始末書】提出となりました。
もう後がありませんので、禁酒されておられるそうです。

深酒という【種】が、異時に、【始末書】として輪廻しのですね