天の御国に入るために必要なのは贖罪でもなく、
宗教の違いなど関係なく、心が清いかどうかにかかっています。
心が清いと、心の奥にある霊(プネウマ)が現れてくるからです。
この霊(プネウマ)が、全ての善きものの根源なのです。
心は、肉体が発する自己保存の本能と欲望と執着によって
曇っていくのです。
その汚れを洗い流すのが悔い改めであり、洗礼なのです。
人はなぜか真理を知りたいという菩提心があります。
それを開眼させるのがグノーシスなのです。
こうして、自己保存本能で出来上がった自我は清められて
透明になっていく。
心のうちに神の光、聖霊が宿ってくる。
すると心が暖かくなってくる。
優しくなっていく。慈しみに満ちていく。
するとイエスの愛が分かってくる。
そこに天の御国があることに気づいてくる。
花はやがて枯れて土に還るが、この優しい愛に満ちた心、
美しき花の輝きは、
始めなく終わりなき神の栄光のプレーローマにある。