皆さん真剣さが足りません。


コリント15の22アダムによってすべての人が死ぬこととなったようにキリストによってすべての人が生きることになるのです。


このように
聖書は常に万人救済の普遍性を言っています。

ローマ11.22
神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたがそれはすべての人を憐れむためだったのです。

このようにキリストの恵みは万人に及ぼす憐れみであり神はこの憐れみをもって万人を救済しようとします。

つまり聖書は審判論と万人救済論が共存していますね、勿論人間が信仰を持つことは重要です、というのは人間が祝福される状態に入ることが信仰と深く結び付いているから。

信仰か不信仰かの決断は祝福か呪いかの分かれ道です。
だから聖書が真剣に審判論と万人救済論の二重を述べています。

人間は神の前で決断すべき存在であり
決断の失敗は呪いのところを生きることになるのです
それほど人間の決断は真剣なものであります。

それはこの世界での人間の運命の決断なのです。

神の中核は万人救済でありそれは十字架で明らかにされました。