最後にこれも読ませていただきました

https://blog.goo.ne.jp/kempis/e/bc997c92dfa569345b0a6ce11f121e79

U 新約聖書の救済論
 新約聖書では、イエス・キリストが救い主である、というテーマが一貫して流れている。聖書のどこを読んでもこのテーマは変わらない。
 救いという言葉には「〜からの解放」という意味と、「〜への解放」という意味の2つの側面がある。前者は救いの消極的側面で、罪・悪の束縛、サタンの支配からの解放とか、贖罪・贖い・犠牲などという言葉で説明される。後者は救いの積極的側面で、神との和解、一致・平和・交わり、神の子とされる、神の賜物を受ける、などという言葉で説明される。意味する範囲は広く、深い。それは、救いとは、ある出来事、行為、というよりは、ある関係、相互作用を示しているからかもしれない。 神学は、キリストは如何にして救いを実現されたか、を問うてきた。新約聖書が明らかにしているのは、受難・十字架の死・復活、によってであるという。過越キリスト論と呼ばれる。「新しい過越」による救いの実現を描いているのが新約聖書だという説明だ。