たとえば信仰と善行に満ちた人が人生の最期にユダの裏切りに似たことをしたとしますね
彼は信仰を捨て悪を行いました
彼は過去の篤信と行為によって救われるでしょうか?

また悪に染まり切った人が人生の最期に回心し「私のことを思い出してください」と嘆願しました
彼は過去の悪と不信仰によって裁かれるでしょうか?

愚かな判断です
肉体を持っている時にどう生きたかというのは、いつも「今」にかかっています