わたしも、しっくりきませんでした
十字架の贖いにあずかり と、すんなり言ってのけるところが

拷問木具を見慣れ、馴れ親しみ、信じて教会堂に入ったから天国行きが約束されたという傲りや、なんらかの心の鈍さがあるのではないかと推測しました
シンボルが当たり前となった感覚が、人の死にあずかるという重大さを薄れやすいものとしたかもと
現に建築物の目印、地図記号、ピクトグラムなど、単なるもの化影響が強い