グノーシス主義の観点には、
神の新たな創造という観点が失われているのです。

グノーシス主義の観点は、
今までに存在していたプレーローマに帰ることを、
目的としているからです。

創造とは、今までになかったものを作り出すことです。
既にあるものに帰ることではありません。

既にあるものに帰ることが目的であるとしましょう。
しかし既にあるプレーローマは完全な国なのです。
完全な国はもはや成長する余地がないのです。

成長する余地がないプレーローマからの霊知の流出を
もとにして、その霊知に肉をまとったのが、
人だとしましょう。

そして、人が、肉の影響で、
霊知の存在をしれなくなった、
状態だとしましょう。

人がこの世で霊知を知り、真珠を得て、
再びプレーローマに霊としてかえることが、
人の目的だとしましょう。

しかし人の元は、完全なる霊知の流出なのです。
その人の元である霊知の流出が、
また霊知を知るに至るということは、
霊知が霊知を知るということです。

完全なる霊知が、
また完全なる霊知の存在に気づくことに、
意味があるのでしょうか?

そして完全な国プレーローマに、
これまた完全なる霊知が
帰還することに意味があるのでしょうか?

完全なる国プレーローマは、
完全なる霊知の帰還に何を期待するのでしょうか?

最初から人の霊にとって、
完全なる国があるのであれば、
そのままでいることが、
人の霊にとって一番幸せなはずです。