●桐山説1「漏尽智は煩悩を完全に滅したことを知る智慧」
●桐山説2「漏尽智で煩悩を切る」
●桐山説3「漏尽智で業を切る」(因縁解脱)

桐山説1は仏教での漏尽智の説明ですから、問題ありません。
問題は2と3で、「あ」さんもお気づきのように、こんな説は阿含経どころか、
阿含宗以外にはどんな仏教にも存在しません。
桐山説2のような珍説を唱えれば、次のような矛盾が出てきます。

矛盾1.アナゴンが漏尽智を持つことになり矛盾する
矛盾2.漏尽智のないシュダオンやシダゴンは煩悩を切ることができない

これらの矛盾を屁理屈魔のペテン大作さんでさえも正面からは説明できず、
シュダオンは煩悩を切れないという爆笑回答をして自滅しています。
しかも、彼は自滅したことに今でも気が付かない!
シュダオンが煩悩が切れないなら、アラカンは存在せず、仏教は滅亡です。
彼はこういうタワケを平気な顔をして書いて、指摘されてもまだわからない。

桐山説3を少し説明すると、「業」の意味、「因縁」の意味は仏教と
阿含宗では違います。
「あ」さんも御存じのように、仏教には因縁解脱などありません。
因縁とは理解するものであって、切ったり解脱するものではありません。
屁理屈魔のペテン大作さんでさえも、桐山説3は完全に無視して逃げます。
なぜなら、桐山説3を擁護するために阿含経に因縁解脱があるという
証拠を示す必要がありますが、出せるはずがない。
これは経典捏造をした桐山さんでさえもできませんでした。
しかも、ペテン大作さんの宿題はこれだけではありません。