>>0226神も仏も名無しさん2023/11/29(水) 21:40:45.82ID:3RlRkTt2
>桐山さんはかつてバチカンに無理やり押しかけ当時の

1985年にバチカンに行ったのは「押しかけ」たのではなく、
国際青年年に合わせて、形なりにもバチカンから招待されたからで、
押し掛けたなどという人聞きの悪いことは言わないほうがいい。
押し掛けなら、三女の副管長が法王の前でスピーチができたはずがありません。

バチカンが招待したのは、桐山さんが本に書いたような、バチカンが
阿含宗の正統性を認めたからなどではなく、当時の出版局の松澤さんが
コネをつけたという噂です。
直接の窓口は上智大学の学長だったピタウ神父でしょう。

その数十年も前から他宗教との融和を目指していたバチカンの政策の一つです。
日本の宗教団体でその先頭を切ったのが立正佼成会の庭野氏で、
桐山さんに先立つ二十年も前の1963年にパウロ六世と謁見しています。
余談だが、庭野氏はインド仏跡(1964年)、インドからの仏舎利(1966年)、
太平洋での戦地慰霊(1972年)、伊勢神宮式年遷宮(1973年)、中国訪問(1974年)、
ナチスの収容所での祈り(1974年)、国連平和賞(1988年)という経歴の持ち主だった。
桐山さんとそっくりだが、年代を見れば、桐山さんが庭野氏の物真似をしたとわかります。
庭野氏の名誉のために言うと、式年遷宮に庭野氏は正式に招待され、
国連平和賞も桐山さんのインチキと違い本物です。

バチカンとのつながりは立正佼成会のほうがはるかに強く、その証拠に
阿含宗が1990年に二度目にバチカン訪問をした時、イタリア南部の会合に
日本から招待された新興宗教は立正佼成会と阿含宗でした。