曹洞宗(そうとうしゅう)。無為(むい)を生きる、平坦な人生。
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現代人の心は、薄っぺらい。
深い感情の遣り取りが出来る相手が居ない。
虚しい。
曹洞宗(そうとうしゅう)。
坐禅して、無我に成る。
無為(むい)を生きる、平坦な人生。 得度は仏教の戒を受けて曹洞宗の僧侶(お釈迦様)の弟子になること。
普通は父親が住職でその子が弟子になる。
在家の人はまず師匠となる僧侶を見つける。
師匠は弟子に対して大きな責任を持つためなかなか見つけるのが難しい。
今なら地方僧堂はどこも雲水不足だから頼めば弟子にしてくれるかもよ? 立身は法戦式を行わなければならない。
一般のお寺なら2日(時には1日)で終わるがお金がかなりかかる。
両本山や地方僧堂なら3ヶ月間首座を務めなければならない。首座は修行僧のトップで皆んなの先頭に立って手本を見せなければならない。大変だがお金は節約出来る。 嗣法は師匠の法を正式に嗣ぐこと。
伝法式という儀式を行い、終わったら書類を宗務庁に提出する。 瑞世は両本山(永平寺・總持寺)で1日住職を勤めること。前日に1泊して朝のお勤め(朝課)で導師をやる。前日に練習するので進退は何とかなるが、大勢の雲水の前なので緊張するのは仕方ない。 結制は晋山式という儀式を取り行い、正式にそのお寺の住職になること。
大和尚として緋色のお袈裟を着用できる。
ただし、晋山式はやらなくてもお寺の住職にはなれる。非常にお金がかかるのでやらないお寺も少なくない。晋山式の中で法戦式が行われ、たいていは自分の子供が首座を勤める。 ま、俺の付き合いある曹洞宗坊主は、
なんらかのお役目をもらったらしい、
どれかやろな、 どこどこ、言えば、一発に
お里がバレるから
レスやらねえ、
曹洞宗宗門でも、ハイクラスの地位てはないが
ハイクラスの下ラインだろうな、 少子化の影響で首座を勤める子供が減っている。
辨事も減っている。何もかもが小さくなっていく。 それなりの地位があるから、
やはり
本山安居期間は長い。 曹洞宗は坐禅そのものが悟りであるという。
一寸坐れば一寸の仏!
臨済宗は坐禅によって公案(禅問答)を通ることが悟りに至る道であるという。
黄檗宗はインゲン豆と木魚を江戸時代に持ち込んだ。 制中も終わり解間に入ったね。
地方僧堂では通年で雲水を受け入れているとはいえ
これからが本格的に出入りする期間。
同安居を見送った後振り返らなかったな。
あれ以来会ってないけど無事でいるんだろうか? 自分が下山する時も振り返らなかった。
十分に学んだのだ。振り返ることなど無い。 それでも懐かしく思い出す事はある。
良くも悪くも安居で得たものが今もものを言っている。 あのまま残っていたら役寮になったりしたんだろうか? 宗門もどうなることやら・・・
近所じゃ単立寺院もチラホラ・・・
無住寺を放ったらかしにするから。 そういえば15日は略布薩じゃないか。
下りてからは全くやってない。
声明のクセが僧堂ごとに違うから二度目の安居ではインキンの打つとこ分からんかった。 インキンの持ち方や立見台の回収はやっておいて良かったと思う。下りてからも使う機会があった。
何でも一所懸命やるべし。 本山よりも地方僧堂の方が好き。
生き残って欲しいなぁ。
堂長や師家との距離が近いから。
地方特有の行事もあって楽しかったな。 お寺といえば茶がつきもの。
茶の道は禅の道に通じる。
とはいえ雲水はコーヒー党が多い。インスタントだとお湯を入れるだけでいいから手間がかからん。
果物はバナナが1番人気。スプーンを必要とするゼリー類は不評。とにかく時間が惜しかったなぁ。 侘び茶と禅は無駄を削ぎ落として茶を飲むこと、
坐禅をすることに専念する。あれもこれもと二見にわたらず、本来無一物の境涯に至るのだ。 屋根は雨漏りしなければ良い、
食事は命が尽きなければ良い、
法輪転じれば、食輪転ず。
ちゃんとやる事やっていれば坊主1人くらいならどんな寺でも食っていける。 禅僧は出世間。
それなのに宗門で偉くなろうとするのはどうなのかと思っていた。権大教正になるための努力とはと。
しかし、同じ話でも2等教師と権大教正が話したのでは後者の方が説得力があるというもの。檀信徒に対する教化も捗る。
何のために偉くなるのかと言う視点も大事。 偉くなるにはお金がかかるけどね。
緋、黄、紫、お袈裟の色を変えるのも大変ですよ。 黄は、見た事ある〜
紫は来てなかったな〜
法要のときは〜 人には5つの欲がある。
食欲、性欲、睡眠欲、名誉欲、利欲。
欲を捨てるのが悟りなのでは無い。
欲に振り回されないブレない心に至るのが悟り。 悟ってしまえば名誉も利益も役に立つ。
食欲、性欲、睡眠欲も自由自在。
ぶんぶん振り回して自らは一歩も動かず! 宗教法人に入るお布施が非課税なだけで宗教法人から僧侶に支払われる給与は課税対象。 ちなみに国民年金に国民健康保険。
お金がある寺院は厚生年金をかけてくれる。
田舎の金欠寺で住職するよりも、大寺院で用僧する方が生活は安定する。 庫裡に家賃がかからないから何とかなっている。
税金もお布施と思って気持ち良く手放そう! お金は色々な商品(欲望)と交換可能な万能引換券。
お金を捨てるということは欲を捨てるということ。
捨てられた欲を僧侶が拾い、そしてお国が拾っていく・・・。 巨大宗教団体を一代で築いた宗祖が逝去された。
教団がこれからどうなるのか興味深い。 道元禅師七百回忌大遠忌予修の案内が来た。
全国の寺院で勤めるから日程に余裕が無い。
700年も拝まれるなんて中々無い事。 珍しく葬儀が沢山入って忙しい。
帰って寝るだけの日々。 喪主は前から葬儀なんて要らんって言っていたけど、お寺で葬儀をした。やっぱやるわって。
若い時の考えは中年になると変わるもの。
いざ病気になったら健康だった時の決意が吹き飛ぶのと同じ。 昔からの習慣には人の欲求が上手く表れている。
意味も無く何百年も続いてきたわけでは無い。
それでも少子化には参っている。
地域あっての寺院。人が居ないんじゃどうにもならん。 医療職で働いているのですが曹洞宗で得度させて頂きたいと思っています
仕事は続けるため剃髪はできないのですが、事情があっても曹洞宗で有髪は許されませんか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています