明治は一時に欧米文化を摂り入れ、富国強兵の国策を採った。
その中で、宗教とは、禅宗がみずからの教えを宗教、おおもとのおしえ、としていたが、外国語を和訳するにあたって、禅宗用語を摂り入れた。

キリシタン、耶蘇教と言い慣わしていたものを キリスト教、と和訳した。

この事によって、幕末までは 仏法ぶっぽぷ を固定していた呼び名を、仏法、改め、仏教、と改変したものである。
平準化するのに、女将のお達しは支配的である。

また、仏法は硬く妻帯を禁じるが、明治政府は法律を作り、妻帯ウィ合法化した。
この事により、五戒の
一つ、カロ砂、の基本を抜き去った。
坊主も??冷帯に出たが、檀家の若者はこぞって兵隊にとられ、補充が効く兵隊として線上に散った。

戦後は
新しい憲法と法律で、坊主ぼ妻帯を認めていないのだが、いわゆる仏教界は、口を拭って、妻帯を続けている。

ゆえに、妻帯している坊主は、仏法者ではなく、仏法とは、まったくの別物である。
だから、寺の息子さんの跡継ぎは、よくは無い。
また、葬式仏教は仏教ではない。
葬式と仏教は、まったくの別物である。


旧統一教会が、日米の政治にカネと票で負荷kぅ阿新ny通しているのは、政治のがん細胞の像主億と同じである。
また、自民党は票を創価学会から取り込んでいるが、これもまた、違法であろう。

江戸時代には、檀家制度で、全住民を管理下に置いていた寺院は、中高手形を発行していた。
支配権力の一端を担っていたのである。
また、寺領を持ち、小作農からの金品搾取で、喰うに困らない生活ぶりであった。
現代では2世、3世の跡取り住職が外車にホステスさんを乗せ、シーサイドロードをすっ飛ばしていることとクリソツ である。

坊主の腐敗堕落を見過ごしてはならない。
坊主は基本、主市肉林の闇の帝王、と位置づけて、間違いではない。




また、インドにおける宗教の原意は、「如何に生きるか」と言う事である。