心素の鏡が、脳の一連の動きを映さなくなると、

仮の心は映らないので、その時既に、脳に於いては無思考・無妄念になっています、

胸にある心鏡は、無活動になった仮の心を一旦は映します、この時を【 無 心 】と云います、

真我に向き直って、最初に真我を映し見たのが【本性・本心】です、

最後は心素の鏡を、一旦かち割ったようにして、心鏡から真我自身へ主権が移行すれと、
最後の個人我であった心素が消えて、個の状態から会報誌されます、

個の状態から開放された消えると、【真我】は瞬時に更なる根元である大いなる我のブラフマンと1つになります、

その前段階として、空間である純粋識のプルシャが、個の真我に流入する現象が起こります、

まあこれは、海や河川の堤防が決壊するようなものであって、大きい方が小さい方へ流入する現象を想像すると分かりやすいでしょうか、

一番最初から数回程度、この事が起こるとき、個人の意識は完全に消えてブラックアウトします、ですが、後で記憶が無くても、行動はしているようです、巫女の神かかり等で、神かかりの間は記憶が無いとか、エドガーケーシのリーディング中の記憶が無いとか、例は少なからずあります、ラーマナマハリシなども、伝記を読むと書いてありますね。