禅の修行は大信根、大疑団、大憤志っていいますよね。

元からそうなんだって大信根があって、その上で「これは何故なんだ???」って修行する所だと思いますけどね。

信じてるから疑わないじゃないと思うんです。
一見矛盾の様ですけど、絶対的に信じながら疑いに徹するのが禅の修行なんじゃないんですかね。

「信じてるのになんで実際にはそうではないのか?!」って疑いの塊になって向かってく事じゃないんですかね。