>>643
いわゆる北宗禅(神秀)の客塵煩悩説だと、払われる塵と払うものに分節されて二元論に堕ちる、っていう南宗禅(神会、慧能)からの批判の事でしょ。
また、道元さんの見性非難も、見るものと見られるものの分節になるという事でしょ。

でも、そうした段階的な修道論への非難がやがて「即事而真」「即心則仏」だのと展開し、ついには中世の天台本覚思想みたいな修行不要論に帰結したんですよね。