町野さんのブログでもあったけれど、仏性というものが、煩悩に覆われたものとしてあって、修行によって、煩悩を除けば、隠れていたものが顕れるとか、
そういう考えはちがう、というのはその通りでしょう。。

道元禅師も、そう言うこと言っているわけだよね、「仏性」の巻。。

仏性という観念は、無くてもいいけど、それを使って全体を捉えるなら、悪とか愚かさも含めた全体の働きが仏性でしょう?
そのなかに、誰もが溶けている。。
もとからその中にどっぷり漬けである。。

そうじゃないと二元論になり、頓悟禅ではなくなる。。