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∞ノノハ∞
川^〇^ハレ9mドーン!!
臨済宗大本山 円覚寺
横田南嶺禅師

森先生談抜粋
>「つまり高僧と凡僧との別は、坐禅を解いてからの言動の上で分かるとも言えましょう。
というのも、坐禅を組んでいる間は高僧も凡僧も格別の差はないとも言えるわけですが、
ひとたび坐禅をやめたとき、凡僧は「アア」などとあくびをして、坐禅はもうすんだものと思うでしょう。

ところがえらい坊さんは、坐を解いても坐禅がすんだとは思わない。
それどころか、真の坐禅はむしろこれから始まると思って、一層その心を引き締めることでしょう。
同時にそこに人間の優劣の岐れ目があるわけです。
この点に着眼しない間は、何年坐禅しても、結局は何の役にも立たないのです。
否、自分は何十年どこそこの道場で坐禅の修業をしたなどと、なまじいの自慢の種になるだけ、かえって悪いとも言えましょう。
坐禅の後で「アア」とあくびなんかして、「ヤレヤレ今日もこれですんだわい」などと考えている程度では、何十年坐禅をしたとて、結局、しないのと、同じことなんです。