お釈迦様は須菩提長老に、
 わしが無上正等正覚を得たということがあるじゃろうか
 と、聞いたのじゃ。

 須菩提長老は、
 無上正等正覚を得たのは、何も得ていない
 と、答えたのじゃ。

 お釈迦様は 
 そうじゃ、わしは無上正等正覚においてほんの少しの法も得ていないのじゃ、
 それをこそ無上正等正覚というのじゃ。
 と、答えたのじゃ。

 続いて
 この法は平等でなんの差別も無いのじゃ。
 そうであるから無上正等正覚というのじゃ。
 というのじゃ。

 自己の四つの観念がなく、全ての善法を修めれば、無上正等正覚を得るというのじゃ。
 その善法も善法ではないから、善法というのじゃ。
 と、説いたのじゃ。

 全ての観念がなくなれば、そこに何の差別もなく、一切が平等なのじゃ。
 何かの観念を足して平等なのではなく、観念が無いことで平等なのじゃ。
 そうであるから何も得ないことが無上正等正覚そのものなのじゃ。

 更に善法とはこの金剛般若経による観念の破壊に他ならないのじゃ。
 一切の観念を破壊するこの善法は、自らも破壊される観念であるから、善法ではないのじゃ。
 それがこの善法とよばれるものなのじゃ。