植物は 太陽の光と水が有れば育つ。

たとえ大きな大きな岩の上に落ちた種も根を張り、岩を包み込んで更に根を張る。

京都のさくらの植木職人は全国で実をつける山桜を探してみて歩く、と言う。
余命吉野は枝を切って挿し木していく実をつけずに増やしていかなければならない。
山桜は身を漬けるのだ。
その桜の植木の職人が度々あいにくのが、その大岩を抱え込んで作山桜で、樹齢は200年を越している、と言う。
ソメイヨシノは植樹後ほぼ60年で枯れる。
山桜の花も見事なのだそうだが、その大岩を抱え込んだ値を見るのが心が震える美しさでいつも涙が出てしまう、と言う。

浄土教阿弥陀様は アミターユ、あるいは アミターバ と言う。

アミターユ とは、無量光。

アミタージュ とは、無量寿。

しかも阿弥陀仏は私達に向かって手をあわせている。

何が何でも掬い取るぞ、と本がんすぉ立てて救い取る、のだ。

一人生まれ、一人死ぬ、私に代わって死ぬことは父母であれ、妻子であれ、阿弥陀様も出来る事ではない。

だから、本願を立てて、救い取るぞ、と私に手をあわせていただいているのだ。

阿弥陀仏陀の救い取らずにはおかないぞ、という願いは、わたしに死の恐怖が無い。

父母が生まれる前の光を観て来い、と言う公案がある。

光寿と言うはと言うアミダブッダは、父母が有まsれる以前からばかりではなく、私の死後もなお光り続ける、無量光、無量寿dぇある。