そして更に法として無上正等正覚というものはないというのじゃ。
 過去の仏にそのような無上正等正覚を授かったことはないというのじゃ。
 そうであるから、過去仏に無上正等正覚を得ると受記されたというのじゃ。

 なぜならば無上正等正覚を得た如来とは真如の異名であるからというのじゃ。

 悟りを得るとはいうが、無上正等正覚とは何かを得ることではなく、むしろ謬見を無くすことであるといえるのじゃ。
 自分があるという謬見、認識したものが実在するという謬見を失い、本来の認識に回帰することなのじゃ。
 それは実に何かを得るのではなく、謬見を無くすことであるからろ、法として得るものはないのじゃ。

 そして悟りを得た如来とは、既に自己の概念も、観念も無いから語るべきことも無いのじゃ。
 語るべきこともないが、衆生のためにあえて真理を語るのであるから真理を語るものの如しなのじゃ。