桐山氏が何を基準にしてサッサ、さっさと個人への指導をしていたか?
お告げデスよ、神霊のお告げなのです。
紫微斗数やら四柱なんたらは、我々素人向けの偽装と思いなさい。
詳細は示さないが、
若いうちに、個人面接指導を受け「黄変死の因縁有り」と諭された御仁、
ある天然災害に巻き込まれ、奇妙なご逝去。
その様な実例を幾つも見聞きしてます。
およそ宗教家として世間に立って行ける条件は集約すると二つになります。
1正確なお告げを示す
2祈って病を治癒させる
1と2が出来れば万全ですが、1だけでも充分に宜しい。
1を満たした行者で近年有名な人は、弁天宗の開祖の小母さんでした。
 興味のある方はお調べください。
1が出来るかどうかで、とやかく言うてる間は宗教の価値が判って居ないですね。
宗教の価値は、救いが在ることに尽きる。
其れが無い者が宗教を説いても只の屁理屈であり、高所、他所から物差しで商量したところで
見当違いの無駄骨。
死んでから題目、念仏、真言を上げたって無駄、あれは生きる人間の為の台詞です。
死んでから悟りは開けないと覚えるべし、生きてるうちに的に当てよ。