>>233
>アレキサンドリアのテラペウタイ派を、 クムランのエッセネ派や原始仏教と勘違いしたんじゃないの。 

ユダヤ人歴史家フィロンによれば、「エッセネ派」と「テラペウタイ」は同じ傾向を持つ集団であり、エッセネ派は実践派、テラペウタイは理論派であるとされ、シリアとパレスティナのエッセネ派は、裸の哲学者(インドの気候で裸形に近い宗教者)と似た生活様式であると言う。
フィロンは、エッセネ派の人々の平和的な生活態度に感動して次のように書き残している。
「エッセネ派の人々は、財産を共有し農業と教育に携わりながら禁欲的な生活を送っている。彼らは皆慎み深い生活を送り、神を深く崇拝しているが生け贄を捧げる事はしない。彼らは自らの霊魂を浄化する事によって神に仕えている。」
これについて、古代ユダヤ歴史家ヨセフスにも似た説明があります。

神学者アドルフ・ヒルゲンフェルトは、アショカ王が派遣した仏教の伝道師に教えを受けたのがエッセネ派であると考えていた。
「エッセネ派は、仏教の普遍的性質によって肥やされたユダヤ教の教えを持つものであり、その土壌から世界宗教キリスト教のからし種が育ってゆく事になる」と述べている。

「ユダヤエッセネ派」は「テラペウタイ仏教」の影響を受けていた。
エッセネ派の主な拠点は、アレキサンドリア・マレオティス湖のほとりやパレスティナの死海のほとりクムランにありました。