碧巌録(へきがんろく)  第1則?達磨廓然無聖(だるま かくねん mしょう)

本則(ほんそく)

梁の武帝は達磨大師に聞いた、「仏法の根本義はどのようなものですか?」
達磨は言った、「からりと晴れ渡った青空のように「聖」も何も無いわい」。

武帝は言った、「朕に向かいそのようなことを言っているお前は一体何者だ?」
達磨は言った、「そんなことは識(し)らん」。

武帝は達磨の心を理解できなかった。
達磨はついに江を渡って魏に去った。

後に武帝はこのことについて誌公に聞いた。
誌公は言った、「陛下、この人が誰か分かりますか?」

武帝は、「知らん」と言った。
誌公は、「彼は仏心印を伝えに来た観世音菩薩ですよ」と言った。

武帝はこれを聞いて後悔した。彼は遂に使いを派遣して達磨を呼び戻そうとした。
誌公は言った、「陛下、使いを派遣して達磨を呼び戻そうとしてもだめですよ。 国を挙げて呼び戻そうとしても彼は帰って来ないでしょう」。



儒教、道教の国、中国にインドの仏教を原点とする禅が、中国文明に溶け込もうとする必ず通らなければならない光の屈折に似た過程、葛藤と言える。

オレのまんまえにつっ立っているおまえは何者なんだ。
識りません。

これは、無、または、空と答えているのだ。

この碧巌録(へきがんろく)の第一則は、禅が禅たるゆえんである色即是空を問うている。

仁愛の支配者、武王は公的福祉としての侍者の建設や厚遇を与えた。
まさに 善行 の人である。
こんにちの言葉で言えば、ギブ アンド テイク の権力者であった。

こんなむずかしい公案が第一則に出てくるとは、むかしのひとは、よほどに真理(さとり)を死に物狂いで求めに求めていたのだろう。