◆◆◆人は死んだら無になる◆◆◆
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人間というか生物は原子で出来ているから原子の塊に戻るだけだよ。
感情や意識、思考は生物じゃなくても原子にも何にでもあるから、心配はいらない。
他の生物に食べられれば何かしらの生物に転生できるし、上手く人間に食べられ精子か卵子になれれば人間に転生できる可能性が出てくる。 >>58 それは全てアンタの産み出した妄想w
あたかもそれを見て来たような事を言うなww 全身麻酔か強力な鎮静剤使ってみな。
中枢神経の伝達の一部を阻害しただけで意識は消える。
死んだら中枢神経回路が壊れるわけだから、もう意識が戻ることはない。
死んだら無と言っても物質的にもになると言ってるわけではないだろ。
我思う我たる意識は消えてしまうということ。 >>1
骨を除いて無くなるんだから それも間違いじゃない 亡くなるとただの有機物に戻るだけなので無にはなりません。
有機物からまた新たな生物が生まれるだけです。
火葬はこのプロセスを無視し無機物に変えているため私は反対しています。
無機物から生物に転生することが出来るならまだ分かりますが。 無なら 心霊やおばけは全否定される
夜中に墓場に行ってもな〜〜〜〜んもなし! 人は死ねば体は焼却して 灰になり 、他のものは全部無になる。
と多くの若者は こう思っている。
するとあなた達は、お彼岸に お墓参りはしないのか?
ご先祖の墓にお参りするのは 何のためなのかな?
何も無いのに 何に対して 手を合わし、 頭を下げているのか?
墓石に向かって 頭を下げ 手を合わすのは、そこに霊魂が存在するからだろう。 私たちの命というものは、あの世から生まれてきて、またあの世へ帰っていく。
この世での生存はせいぜい100年も満たないが、あの世の世界は 何百年何千年と長い 。
そしてまたいつの日にかこの世に生まれてくる者もいるが、 ほとんどの者は、 未来永劫に 居続けなければならない。
私も何年かすると、 あの世へ帰っていくが、あの世で少しでも 暮らしやすい世界に、落ち着けるように今は仏道修行に励んでいる。
人は死んで 意識がなくなっても、心の深層部分( 無意識層)にはこの世の記憶が 刻印されていて、 絶えず命に付き添っているという。
そしていつの日にかまた この世に出てくる時は、 そこに刻まれている 行いが、 因縁となって 人格が形成されると言うことだ。 聖書で神はアダムに「あなたは塵から取られたので塵に帰る」と言っている
この言葉には死後に魂が生き残るという考えはどこにもないように思うのだが >>6
『宗教名目による悪徳商法―日弁連報告書にみるその実態と対策 』
(緑風出版)
(1996/5/1)
日弁連は1987年7月と翌1988年3月の2度にわたって、霊感商法の実体とその対策について提言する詳細な報告書を公表した。
第二 実体
この提言で対象とする典型的な事例を10種類選択して紹介する。いずれも弁護士や消費者センター等の相談窓口に寄せられることが多いものばかりであり、事件を担当した弁護士や被害者から直接事情徴収してまとめたものである。・・・
8)教祖の著作を書店で見て、この教団(法人格はない)に関わりを持つ人が多い。悪霊を払って善霊を呼び開運すると銘打った除霊の儀式(5万乃至数十万円)や、
有料の気学や、やせる・美人になる・金持ちになる等の各種講演会、秘法等のイベントなどに若い人を中心に多数参加している。
子供の病気等の悩みを解決するためには除霊をしないといけない、といわれて、
教祖や教団内の資格を持った幹部の儀式、鑑定などを度々受けたため、多額の出損となったという事案を初めとして、相当数の被害相談がある。』 死んでも肉体が滅ぶだけで、魂は残りますね。ここから、まだまだ続きます。 死後、仮に神だのあの世だのあろうがんなもん否定して拒否するだけだわ >>80
それは願望、ないし思想。
現実にそんなことが起こると思ってるの? 少しでも宗教的?な修行を行なってみると分かるけど
本当に得難いのは無所有の境地、仏教的には無我か?
まあ無所有の境涯で良いか、これを得るのが不可能ではないかと言うぐらい難しい
無所有を得ると言うのも可笑しな話しなんだけどな 最近になって気づいた事はこの無所有の境涯と言うのは
対概念の内にあってしかない事に気づいたんだよ
創世記でアダムが一人ではいけないとイヴが
次いで創造された理由が何となく腑に落ちたって話し 人体がただの物質のように思えてしまう
自分の意思で生きてるように思えて、実は思考も何もかも化学物質に支配されているに過ぎない、という どうせいつか死ぬのなら、初めから生まれなければ良かった 「人は死んだら無になる」
と言うこと自体、
人に肉体と切り離せる「何か」を想定しないと出てこない話。
本当に唯物的に考えているのなら遺体の話になるはず。 「人体を構成する物質及びその構造」
が人だとするならば
「人は死んだらどうなるか?」
の答えは
「無になる」
ではなく
「腐ったり燃やされたりする」
が正解なはずである。 医者が末期患者の死を見届けるシーンを想像してみよう。
患者は死んだ瞬間に無になるのだろうか?
そうはならないはずだ。
人が死んだ瞬間に無になると言うのなら、
医者が患者の死を判断する間もなく消えなければならないが、
実際はそうはならず、
「死んだ人間」がその場に残る。 やっぱり人が死んだらどうなるかってのは、
遺体の話にならなきゃおかしい。 天国だの地獄だの騙る連中は論外として、
「死んだら遺体になる肉体とは別に存在し、かつ死ぬと無になる何か」
を人の実体として考えている時点で、 科学的でも唯物的でもないのでは? 豚は死んだらトンカツになります。
人が死んだら仏様とか言われてますが、それは嘘で、坊さんの収入になります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています