人は難しい言葉だと分からないけど有り難いように錯覚する

しかしわたしはそうじゃなく、分からないものは分からないし
分かりにくいなと思うことは分かりやすい表現に出来るだけする

阿頼耶識一つにしても
人によりけりの解釈な時点で当時の唯識派が使ってた意味から逸脱してる可能性がある

だからその先の唯識何十だかもみんな曖昧もこになる

やはり大きな定義がしっかりしていないと
その先の具体論は全く意味が無いのである