>>483
その通りです。
よく信者たちが、宏洋氏の、泣きながら信仰を語る動画を出して反論します。
アレは、「そうしなければ大悟館に居られない」から、演じたワケです。
北朝鮮と同じ状況なのです。
確か金賢姫だったと思いますが、将軍様が亡くなった時、暫く国民たちが毎日、
屋外で泣き喚く姿が映し出されておりました。
彼女は、言ってましたね。
「ああいう風に演じてないと、生きてゆけないのです」と。
幸福の科学も全く同じですよ。
隆法のことを素晴らしい、素晴らしい、と言ってないと、
コミュニケーションが成り立たないのです。

・・・まあ、今となっては伽藍洞の閑古鳥ですけどね。
要は、カルト信者たちは、「自分」という姿、形はあるが、
その中身が空っぽなので、誰かの持っている個性なり考えなり
思考、思想なりを詰め込まないと、不安で不安で日々を
生きれない人々なのです。
ある意味、幸福の科学が狂ってることなど、百も承知なのです。
「ただ依存していたいだけ」なのです。
それだけなんですよ。
「依存」という言葉は体裁が悪い為、「信仰」と称するワケです。