>>457

Wikipediaなんか参考程度で証拠能力は無い

八正道を知って全てを滅するに至ったと述べられてる

http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama70512.html

比丘たちよ、たとえば、ここに人ありて、人なき林の中をさまよい、ふと、古人のたどった古道を発見したとするがよい。その人は、その古道にしたがい、進みゆいて、古人の住んでいた古城、園林があり、岸もうるわしい蓮池がある古き都城を発見したとするがよい。
比丘たちよ、その時、その人は、王または王の大臣に報告していうであろう。

『尊きかたよ、申しあげます。わたしは人なき林の中をさまよっている時、ふと、古人のたどった古道を発見いたしました。その道にしたがって、ずっと進みゆいてみると、そこには古人の住んでいた古城がありました。
それは、園林もあり、岸もうるわしい蓮池もある古き都城でありました。尊きかたよ、願わくはかしこに城邑(まち)を築かせたまえ』と
比丘たちよ、そこで、王または王の大臣が、そこに城邑をつくらせたところ、やがて、その城邑はさかえ、人あまた集まりきたって、殷盛を極めるにいたったという。
比丘たちよ、それとおなじく、わたしは、過去の正覚者のたどった古道・古径を発見したのである。
比丘たちよ、では過去の諸仏のたどってきた古道・古径とはなんであろうか。それはかの八つの聖なる道のことである。すなわち、正見・正思・正語・正命・正精進・正念・正定がそれである。
比丘たちよ、これが過去の正覚者たちのたどった古道・古径であって、この道にしたがいゆいて、わたしもまた、老死を知り、老死のよって来るところを知り、
老死のよって滅するところを知り、また老死の滅にいたる道を知ったのである。
比丘たちよ、わたしはまた、この道にしたがいゆいて、生を知り、・・・有を知り、・・・取を知り、・・・愛を知り、・・・受を知り、・・・蝕を知り、・・・六処を知り、・・・名色を知り、・・・識を知り、・・・
またわたしは、この道にしたがいゆいて、行を知り、行のよってなるところを知り、行のよって滅するところを知り、また、行の滅にいたる道を知ったのである。