>>87
ここで釈尊が説く涅槃は「死ぬ」という意味だろ

八正道を実践すれば涅槃に往くと

涅槃=死ぬ=悟りと解釈してないか?

その解釈だと八正道を実践している限り、死ぬまで「悟れません!」という意味になる

しかし、釈尊は死んだから悟ったんと違うよなー?

もし、「涅槃」と「死」が「悟り」と同義なら生きている釈尊は悟っていない事になる

この矛盾を解決するには、「涅槃」と「悟り」は別物と解釈するしかない

わかるか?

そもそも八正道とは人が正しく生きるための道のことなんやろ

人間は死ぬ直前、死ぬ寸前、死ぬ瞬間まで「生きている」んやろが?

八正道とは死ぬ瞬間まで正しく生きなさいという教えに過ぎんのや

涅槃とは八正道によって正しく生きて死ぬことであって、悟りとは別物なんや

ならば論理的に八正道を実践したら悟るという考えは間違っていることになる

八正道と悟りには何の因果関係も無い

たとえ涅槃が悟りと同義語であったとしても、八正道を実践したら死ぬまで悟りを開くことは不可能になる

反論どーぞ(´・ω・`)笑