>>436
ほむう、そーかもしらん
なにしろ、個人の思い、発言、行いが

情念を生じ、それが、業の記憶となり

この、業の記憶が、個人的ではない、喩えるなら神的意識とでもゆーような想像の力によって

実際は、実体ははないが、この、生の体験の、業の束とでも言えるようなものから

新しい生が始まるのではないか

つまり、母体に宿るのではないかと、ゆーような、これは、ハジは自信ないけど

そのような漠然としたイメージをしておるのだ


まあ、空想じゃwwww