>>709 ただひたすらに観察し続けるのじゃ。
 それが完全に観られたならば厭離されて、捨てられるのじゃ。
 捨てようと想っただけでは捨てられないのじゃ。
 観察によって捨てられるのじゃ。

 自我を滅し、認識をも滅した後に生死は無いと知ったのじゃ。
 永遠に在るものは意識だけだと実感すれば、一時の生も、その終わりである死も無いと知れるのじゃ。
 そのようにして生死を超えたのじゃ。