>>765

禅宗独特の教えで全ての宗派にとはならんやろ?

写経の功徳は大乗の基本的な教えの一つやし 廟善無聖やったら神秘主義は成り立たんのやから

達磨さんが言うてるのはそういうものの見方いうだけやで

これが密教僧やったら全く違う答えになるし それも物事の一面に過ぎんのよ

唯物論で言えば何も宿ってない筈の仏像が目を開いたり閉じたりするて うちの寺に通うてるおばちゃん達が別に嘘言うてる訳や無いしな

世の中不思議な事は何もないという宗派と不思議だらけやという宗派では経験する現実さえ違うかも知れんのやで?

>達磨がインドから中国にやって来た時、当時、国を治めていた仏教好きの武帝という 王とのやり取りの時に出てくる言葉のようです。
>そのやり取りとは次のようなものです。 武帝が「私は長くお寺を作りお経を写させ僧を育ててきたが、どんな功徳があるのか?」、 達磨が「功徳などありません」と答え
>、さらに武帝が「それならば仏教の大切な真理とは何か」と聞くと、 達磨が「廓然無聖」と答えたというやり取りから生まれた言葉のようです。
>少し難し過ぎる言葉を選んでしまい音吉にもよくわかりませんが、武帝と達磨のやり取りをみると、 功徳を求めようとしては本当の功徳にはならず、そのようなことにとらわれないことが大切である、 ということではないかと思います。