13 楽我【今月の苑歌】
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
 真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし

【教主注釈】
してあげた−、助けてやった−、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。


信者の「してやっている。」という態度に釘をさしています。苑内で苦情があれば「修行中の身」という方便があります。信者は教えの取り組みで忙しいことを強調して自分を上に見せようともします。
修行が進めば示される霊が増え、それに伴う自分だけの因縁ストーリーが深まると、救われない霊を救う救世主の様な選民意識が高まり、上から見下ろす態度になっていくのに気づけない信者となっていくのを確信犯的に戒めているのも感じます。
因縁による底知れぬ恐怖から逃れる為に勧誘しなければならない信者が、自分の思い通りにならない人に対して攻撃的になっていきます。それは新興宗教を信じさせられている劣等感の裏返しでもあります。