真如の世界にいる時も
思念の世界では、これは、よい、わるいと、様々に出来事を分別して苦しんだり悩んだりしている我、自我というものが起こり続けているが

この、起こり続けている我を智慧の眼でもって離れていることならできるので、それを、試続けることである

それが、やっちゃったー、どーしよーとか、悩むことも、そりゃあるのだが

それでも、それが落ちている様を、手放ししている様を実現していくとゆーのは

それな、いいものを残して、悪いものを捨てることではない